「なぜぼくは生きているのか」を考えてみました

なぜぼくは生きているのか


「なぜぼくは生きているのか」これを探すために旅に出た。生きる意味はなんなのか。人生を通して何をすればよいのか。ぼくの今の生き方は正しい方向なのか。ぼくはわからない。だから旅を通して「ぼくが生きる意味」を見つけたい。そんな気持ちを、旅の道中にふと書き残したいなと思ったので書いています。

世の中は不条理だ

「なぜぼくは生きているのか」

こんなことを考えたことがある人は多いのではないでしょうか。

ぼくもその一人です。

ぼくはいまニュージーランドを旅しています。

その中で、

「なぜぼくは生きているのだろう」
「なんのために人生を前に進めているのだろう」

こんなことを考えることが多いです。

~~~

生きる意味。

人は、母のお腹の中で生を受け、世の中に足を踏み出した瞬間から「人生」という仕事を初めます。

最初は一人で「生きる」ことはできません。

なので父や母に、なんでもかんでも世話をしてもらいます。

そう、TLCをいただくのです。(TLC:Tender Loving Care)

もしかしたら「愛」のない世話を余儀なくされる人もいるのかもしれません。

世の中は「運ゲー」ですから。

ぼくはたまたま運が良く、父と母から愛を受けて生きることができました。
ぼくはたまたま運が良く、日本という安全安心で生きやすい世界で育つことができました。

ぼくのパスポートは世界で一番強いです。

これはぼくの努力ではなく、たまたま日本に生まれることができたという「運」に起因します。

世の中は不条理です。
アンバランスです。
全く平等ではありません。

たまたま生きやすい環境に生まれる人もいれば、なかなか生きづらい環境に生まれる人もいます。

そんな前提の中で、

「なぜぼくは生きているのか」

こんな問が頭を巡らせます。

思考という特異性

地球が生まれてから46億年も経っているそうです。

そんな長い歴史の中で、人間はたった100年程度しか生きられません。

この、地球からすれば「刹那」ともいえる「生」の意味とは。

これがぼくにはどうしてもわからないのです。

地球上にはいろいろな「生き物」がいます。

動物や植物。

人間は動物に分類されるでしょう。

そんな生き物の中で、人間が「人間である意味」とは。

それは「思考」にあると思います。

他の動物と一線を画すもの、それが思考です。

ぼくはいま「なぜぼくが生きているのか」を考えることができている。

人間は他動植物と比較して「思考」という特異性を持って生まれました。

これは他の動物や植物よりも優れている点だと思います。

だからぼくはその優れている点を目一杯使って考えようと思うのです。

人として生まれたからには、思考を目一杯巡らせて生きようと思うのです。

「なぜぼくは生きているのか」を思考して人生を歩もうと思うのです。

簡易化された人生

生きることは正直簡単です。

食って、寝てればいいんです。

それだけで日々を前に進めることができる。

ただ、世の中には毎日「食べる」ことができない人もいる。

その事実も頭の片隅にいれておかないといけません。

そして、われわれ人間は「生きる」こと以外にもなぜだか欲を持っています。

これも頭の片隅にいれておいたほうがいいですね。

ぼくが先に言った「食って寝てれば」というのは人間の三大欲求の「食欲、性欲、睡眠欲」のうちの2つです。

性欲は、後世に自分が生まれてきたことを残したいという欲求の現れだと思います。

自分の遺伝子を自分という身体ではなく、他の身体に忍ばせて、次の人生を歩むために子孫を残して、未来に自分を送る。そんな欲求なのかなと思います。

性欲は人それぞれかもしれません。

この3つの欲求が満たされれば、人は生きていけます。

現代社会では生きることは結構簡単にできてしまいます。

十分な食べ物と十分な寝床を、いとも簡単に得ることができる。

人生は簡易されてしまった。

だから人はその先を求めてしまう。

生きるために思考するのではなく、生きれることを前提として、その上でどうやって生きていこうか、と考えてしまう。

先進国に生まれ育った人は、残念ながら皆そういった道を歩まざるを得なくなってしまっています。

ぼくもその一人です。

簡易化された人生を歩まざるを得ないからこそ、「なぜぼくは生きているのか」を考えてしまうのだと思います。

新たな欲求の上に

人は三大欲求以外にもいろいろな欲を持っています。

最近だと「承認欲求」が話題に上がりますね。

ここ最近で一気に一般化したソーシャルネットワークにより、人はリアルタイムに自分の「生」を他の人に伝えることができるようになりました。

そして、他人の「生」に対して、それぞれが意見や反応をすることができる。

そして更に、その反応を見て、自分の「生」を軌道修正したり、路線変更したりできるのです。

こんなことは今までありませんでした。

とくに日本は他の情報をシャットアウトしてたタイプですからね。鎖国を通して。

しかし、現代はボーダレスな世界が整いつつあります。

インターネットにより世の中の情報のリアルタイム性や情報の量が整いました。
技術の発展により、移動も簡易化、効率化されています。

今までばらばらだった地球が、どんどん一つになっている。

これがいまの世の中の現状で、それは今後も加速度的に変化していくでしょう。

そんな世の中で、ぼくらはどうやって生きていけばよいのか。

どうやって生きるのかを考えるためにも、「なぜ生きているのか」を知る必要があると思います。

意味がわからないのに方法を考えるのはおかしな話ですから。

だからぼくは「生きる意味」を知りたい。

そんなわけで「なぜぼくは生きているのか」を考えてしまう。

僕の人生を求めて

「なぜぼくは生きているのか」

考えてもなかなか答えは出てきません。

それは当たり前ですね。それは答えのない問であるから。

いや、答えはあるとは思います。ただ、その答えを見つけるのはそんなに簡単じゃない。

ものすごいエネルギーを使って答えを探り、いろいろな答えかもしれないものを仮説検証して、あれも違うこれも違うとちょっとずつ答えにたどり着くために歩を進める。

なかなかしんどいものです。

そこまでしてこの問の答えを見つける意味があるのだろうか。

正直な話、

「なぜぼくは生きているのか」を知らなくても生きてはいける。

普通にみんなと同じような生活をして同じように人生を進めれば、それなりには「生きる」ことができる。

ただ、

やっぱり知りたいじゃないですか。

生きる意味を。

「ぼくが」生きる中でなにをすればよいのかを。

自分らしい人生を歩むためにも。

他人と同様の一般化された普通の人生でなく、自分で考えて答えを探す「自分らしい生きる」をしたい。

「僕の人生」を歩みたい。

だからぼくは「なぜ生きているのか」を知りたいと思うんです。

ぼくが歩む人生とはなんなのか。それを求めてしまうのです。

旅人という選択肢

ぼくの今の考え方が正しいのか、間違っているのか。

いまの行動は世の中のためになっているのか、それとも逆に世の中の進歩を後退させているのか。

正直わからない。

人は「正しさ」を求めてしまう生き物だと思います。

特にぼくは「正誤」を知りたくなってしまう。そういう欲が人一倍強いかもしれません。

だから「生きる意味」を知りたくなって、ぼくの人生を「正しい方向」に導きたいと思ってしまう。

「正しさ」という、これまた難問を探してしまう。

正しさは人それぞれの中にしか在りえないと思います。

他人の正しさと自分の正しさは違う。

ぼくがぼくの「正しさ」を創って、それを信じて前に進む。

これが「生きること」だと思います・

そして、「生きる意味」を知るために旅をしている。

これがぼくの「いま」です。

正直、旅を通して何が得られるのかなんてわからない。

もしかしたら「旅をする」という行動は間違った選択なのかもしれない。

そんなのわかんないけど、ぼくはただただ、「いま」正しいと思った行動をとっている。

それが「旅」をすること。

正直、「生きる意味」なんてわかりそうにない。

ただ、自分が何が好きで何が嫌いで、何をしたくて何をしたくなくて、何が正しいと思って何が間違っていると思うのかが、ほんのちょっとだけわかるときがある。

だから、旅をする前よりはほんのちょっぴり前に進めたのかななんて思ってます。

「なぜぼくは生きているのか」

これを探す旅人をする。

無数に存在する選択肢の中から、これを選びました。

これが「正しい道だ」と信じて。

多様な生に触れて

「なぜぼくは生きているのか」

これはぼくの人生を通して、一生の問です。

そして、答えを探すことが人生なのかななんて思ってます。

人はそれぞれ「生き方」を持っていて、そのそれぞれが「人生」で、それらに「正誤」は存在しなくて、皆それぞれが「自分が正しい」と思った選択をしながら前に進んでいる。

そして、皆違う人生を持っていて、そのそれぞれが美しくて、そんな人それぞれの儚い人生に少しでも触れることができたら、ぼくの人生もなんか刺激を受けることができて、ぼくの人生の選択の幅を、少しでも広げられるのではないか。

そしてその数が増えれば、それだけぼくの人生への刺激も増えて、そしてその中でなにか自分らしい人生が見えてくるのかななんて。

そんなことを考えて旅をしています。

より多様な「人生」に触れるために。

さらに、先で言ったように地球上に生きている「生物」は、人間だけではありません。

人間以外の動物や植物を中心とした自然。

これらも「生」を授かって、生きている。

そのそれぞれに「生」がある。

ぼくはそう思います。

だから人に限らず、もっと広く「生」に触れよう、そんなことを考えて旅をしています。

より多種な「生」に触れるために。

そして、そんな多種多様な「生」に触れることができたら、「僕が生きている意味」もなんかわかってくるのではないか。

そんなことを考えて人生を歩んでいます。

「なぜぼくは生きているのか」を見つけるために。

船出は常に突然に

東京で生まれ育ち、そのままずっと東京で過ごしていたら、めっちゃ余裕で生きることができたと思う。

けど、

東京で生まれ育ち、そのままずっと東京で過ごしていたら、確実に「生きる意味」なんてわかりっこなかったと思う。

いま旅をしていて、ちょっとだけなんか前に進んだ感があるのは、東京を、否日本を飛び出したから。

環境で人生は大きく変わる。

関わる人、息をする空気、目に入る景色。

皆異なる環境だから、皆異なる人生になる。

ぼくの環境は、東京という綺麗で便利で発展している場所だった。

何もかもが先進的で、何不自由なく生きられた。

これは運が良かったと正直思う。

でも、東京というぬるま湯に浸かり続けていては駄目になってしまう。

ふとそう感じた。

だから東京を逃げ出した。

日本から飛び出した。

だから旅に出た。

「なぜぼくは生きているのか」を探すために。

答えのない答えを探し求めて。

ひろたつ

結局わかんねぇよ

結局わかんねぇよ

最後まで読んでくださりありがとうございました。

結局、「なぜぼくは生きているのか」なんてわかりませんでした。

「こいつはどんな答えを持っているんだ?」と思って読んで下さった方、ごめんなさい。

わかんねぇっす。

これがいまのぼくの答えです。

なので、これからも「なぜぼくは生きているのか」を探しながら、旅を続けていこうと思います。

その中で、ふと何かが繋がった音がきこえたら、その都度乱雑な文章で書き残していこうと思います。

ぜひ、またいつの日か、ぼくのブログに遊びに来てくれると嬉しいです。

そんな感じ。

おわり。